格言和歌集 いろはカルタ

佐土原 台介

 

の一番なべて目指すが自然(じねん)なれその一生は火車の連続

解説 何事につけ、一番になるということは大変な努力と天分を要する。天分に恵まれていない人は、その努力は並大抵のものではなく、場合によっては持てるすべての金と権力を用いて一番になろうとする。ところが本当に難しいのは、一番になることよりは、その立場を維持することなのである。一生涯火の付いた車のように走り続けなければならない。どうせならトップになどならないことだ。二番の位置にピタリと付いてのんびりと好きなことをする人生が理想といえる。そこで一首。

一番は寿命を縮める二番こそ長寿の秘訣ゆめ忘れまじ      

うかいな手段に頼る人たちの眼差しの奥何を見ていし
  

解説 職場や組織で誰もが体験することのひとつである。老獪と思われることには主観があるかもしれない。欺きすれすれのところで最も適切な形で事を処理する手段であると当事者は思っているのかもしれないし、対象となる当事者にとっては卑劣な欺きそのものでしかないと受け取られることは大いに考えられることである。だが老獪と他から思われる行為は当事者が意識していないはずはない。その心中に渦巻く様々な欲望は当然眼差しにも表れてくる。例えば柔和という形を装って。そこで一首。

ろくろ首こは妄執の現れぞ眼差しが匿したる心中の獪 


じらいの浮かべる顔に匂いあり恥じざる人の厚顔をみよ

 

解説 いつの世にも厚顔無恥な人は巷に溢れている。厚かましい位でなければ、生き馬の目を抜くこの時代に生きてはいけないと考えている。本当にそうだろうか。古来より日本人が何よりも重んじたのが恥ずべき行いをしないことであり、受けた恥辱に対しては命をもって雪ごうとしたことである。ところが現代では、古来より恥とされてきたことが、日常茶飯に行われている。「恥」という感覚を忘れてしまったかのごとくである。何故そうなったかをそれぞれが胸に手を当てて考えてみるべきであろう。そこで一首。

     恥ずべきは卑怯見過ごす勇無きと責任回避す日和見主義者

  

んげんに差別無きよう祈れども差別がありてなりたつ社会 

 解説 社会に生きる意味の一つは、自身を他より際立たせることであり、少しでも優位に立とうとすることである。人間という生き物はそもそもその性からして自由で平等で差別のない社会など実現出来る筈もないのである。そのどうしようもない現実に直面して、ときに絶望的になり自暴自棄となる。だが努力を止めてしまえばさらに悲惨な現実に直面するばかりだ。私たち日本人の祖先は謙譲と節制の美徳を後世に残してくれた。しかしそれら数々の美徳が失われようとしてる。そこで一首

日本人忘れしものが二つあり恥の感覚礼する心 

  

んとうはと笑みたたえて耳打ちすその内容は悪しきことのみ 

 解説 人間はとことん秘密を維持できない生き物のように思われる。一度内に抱いた秘密をどこかで吐き出そうとする。その行為には開放感があり快感がある。誰彼にも秘密をもらす人が信用できないのはもちろんであるが、あなただけには言っておきたい、とささやきかけてくる人が必ずいるものである。そうしたとき耳打ちする秘密の内容は、秘密というよりはスキャンダルであり、しかも嫉妬や悪意のからんだ告口に近いものがほとんどといっていい。まったくちがったテーマで一首。

       星星の不滅を信ぜし古代人星も死すると知りたれば如何

 

いわをば求める気持ち変わらざるも戦いなくして世の中はなし 

解説 人間誰しも戦いのない世の中を心から欲している、ようにみえる。だが改めていうまでもなく、人類の歴史は戦いの歴史であり、社会は殺人や争いやもめごとに満ちている。人間の根本的な矛盾がそこにある。人間が生きる意志を貫くかぎり争いから逃れることはできないのである。人間はさらに快適な衣食住を求めて努力する。この努力こそが争いの種をまくのだ。平和な社会を求める努力も諍いの原因となる。何という矛盾!何という愚かさ!そこで一首。

       経巡りて理想の場所を見つけてもついにはそこも砂上の楼閣

  

こしなえに生きるを願うは人類(ひと)のさが宇宙のガンに成りたるをしら 

解説 人間の長寿にたいする願望は計り知れぬものがある。人が長く生きれば生きるほど地球環境の破壊が進行することになる。世界人口もものすごい勢いで増え続けている。核兵器の応酬となる世界戦争が勃発すれば、相当の数の人口が減ることは確かである。むろんそのときは他の動植物が絶滅に瀕し、地球が廃墟と化すときでもあるのだ。そうすると人類は地球を捨てて他の惑星へ移住せざるをえない。そうしてその惑星もいずれ地球と同じ運命をたどることになる。そこで一首。

     とりあえず移るしかなし生きるには犠牲と労苦止むをえざらむ

  

か茎のいきおい真直ぐな竹林に命の奔流みてとりにけり   

 解説 生き延びようとする動植物のすさまじいまでの生命力に思わず感嘆することはまれではない。殺虫剤をかけられて死を覚ったゴキブリのメスは、子がぎっしり詰まったカプセルを産み落としてからクルリとひっくり返って死ぬ。その光景を目撃するとき、忌まわしいながらもつい感動してしまう。ゴキブリはより良い衣食住環境を求めて進化することはない。そのままで一億年生きている。踏まれたり叩かれたりして体が半分潰れても生きている。知能の発達というのは弱さの証明であるのかもしれない。そこで一首。

    地表には小さき生きもの満ちてありひと歩くたび踏みつぶさるる

  

こうぶりひとの気を引くおしゃべりは寡黙なひとの眼の力に負く 

解説 言葉はおのれの意思を相手に伝達する手段であるが、過剰に用いると、自己宣伝ととられたり、非難中傷と曲解されたり、ときには誇大妄想、虚言として警戒されることにもなる。むろん、寡黙であれば良いというのでもない。沈黙は同意とみなされても仕方ないし、自信がない証しと受け取られることにもなる。しかし、本当に自信のあるひとはいったいに寡黙なものである。しゃべりまくる相手の目をチラリと見るその表情にすべてが込められる。そこで一首。

       理屈こね相手黙らす技量よし失いしものに思い致せば

  

 き打ちに斬り捨つるは易すけれど切り結ぶ姿勢それが人生  

解説 相手の気持ちを斟酌しようとしない鈍感な相手に対しては、苛立ちのあまり、ことさらに鋭く言葉を切り返したり、意地悪な返し文句を投げつけてみたくなることはある。それはそれで良いのであるが、場に気まずい空気が流れたり、お互いの関係にひびが入ることにもなりかねない。そこをさらりとかわして、あたかも実力伯仲しているがごとく相手の話と切り結んでみせる、それも大人の成熟した感覚ではないかと思うのである。大人といえば、誰もが経験する甘く切ない在りし日のあの そこで一首。

塗り込めし来し方夢に出でつるは変わらぬままのあの(ひと)のかお

  

いしんの末は窓際肩叩きよくぞ我慢せりあとは(あだ)討ち  

解説 組織の一員に成りきってがむしゃらに働くこと四十年。そこで待ち受けていたものは定年前の窓際と肩叩き。気落ちをした日々に決定的な追い討ちをかけるように、奥方の反乱が待ち受けている。離婚の申し出と退職金の全額請求。いったいおれがなにをしたというのか。討つ相手は会社の上役又は女房?ちがいますねえ。これまでの自分の人生ですよ。ひたすらに会社と居酒屋で過ごした人生に敵討ちするつもりで、何か新しいことを始めるのです。そこで一首。

ルートヴィヒ狂王の名をもらいしがその創造の意志常人を超ゆ

 

しまいを云うはやすし宇宙では億年単位で星が死す  

解説 我々は余りにも性急に日々を生きているのではないか。恋人同士や夫婦間あるいは一般の人間関係において、すぐに「もうおしまいだ」と言おうとする。事業に失敗したり重病を患ったりしたときも同じことをいう。潔さが我々日本人のとりえだとしても、もう一拍おいて熟考してみたとき解決の方法が見出されることもあるのである。感情はそのときの状況に囚われやすい。激情が去ったあと冷静になって沈思する習慣を身に付けたいものだ。他人に対する評価にも同じことがいえる。そこで一首。

表裏あってまともな人生ぞなぜ一面のみが評価さるるや 

 

れ先に新奇求むるは仕方なし妄という名の本能ゆえに  

解説 新しいこと珍奇なことを求めるのは何も悪いことではない。むしろそれは人間の本能と言っていい。一般庶民の次元では、生活の不便を解消し、環境を改善し、豊かな衣食住をもたらしてくれる。結果として、人類の進化を促し、夢のような大発見をもたらすことになるかもしれない。しかし、その本能ゆえに新しい殺人兵器が次々と開発されてゆく。一挙に人類滅亡を招来しかねない重大事である。「新しいこと」というのはいったい何なのであろうか。そこで一首。

湧き出づる想い頭に充ちたれど爆発途上の星雲に似たり

 

ラシニコフ抱きて戦う少年兵その眼差しに喜悦の色あり  

解説 人間社会に、宗教と民族の差異それに国境がある限り、人間同士が殺し合う状況は止むことがない。特に発展途上国といわれている国々の内戦、外敵との戦いに駆り出された少年たちは、大人並に銃を与えられた喜びと、敵を狙い打つ興奮に自分が何をしているのかも分からないままに、命を的にしているのである。兵士でもない人たちに銃が行きわたるというそのこと自体が人類の犯罪といえる。だが、それは悪だ、と当事者以外の人たちが断言できる根拠を探すのは難しい。そこで一首。

果敢にも挑戦しける蛮勇に人の善悪(よしあし)ともに存せり

  

の中を変えたい気持ち強けれどついはまり込む糧を得る道  

解説 若い頃は、大人たちの言動や生き方、社会の仕組みに対して、激しい憤りを覚えたことのある人は多いと思う。だが、自分が大人になったとき、自らの現実を肯定してしまっている自分に気付いて愕然とするのである。気付きはしても、もはや若い頃の自分に戻ることはできない。決然としてそれができるとき、人は自らの歴史となることができるのである。そんな我々でもときに理想の現実を構築することができる。それは人間というか弱い生き物に与えられた特権でもある。そこで一首。

夜明けこそ未知の構築到来すそこで見る夢人生を超ゆ

  

だしきか誤れるか議論する行き着く果てはののしりあいよ  

解説 議論というのは人間生活に欠かすことが出来ないものであるが、叡智のひらめきと相手の立場に対する思いやりに欠けると、えてして堂々巡りの激論に高まりついにはののしりあいになってしまうことが多い。酒席などで往々にしてみられるパターンである。そうした席で遺恨を残すことは最低であり、最後は高笑いに昇華させる度量が欲しいものだ。だからといってあえて自分の主張を曲げ、相手に迎合する必要はまったくない。自分の主張や意思は生きる指針でもあるのだから大切にしたいものだ。そこで一首。

大切に守り育てる宝物その第一は意思の継続

 

き史とは祖先の御霊が凝集し今のおのれに現われしもの 

解説 歴史とは、過去のすべては今ここにいるわたし〉の一身に凝集していることを自覚することではないかと思う。歴史には記録というものがあるが、客観的事実ないし真実というものは存在しないのではないか。歴史は記録(文書、映像、遺跡、個人の記憶など)によって後世に伝えられるが、イメージするのは歴史の頂点としての自分だからである。頂点は人間の数だけ存在する。だからといって歴史的事実といわれるものが個人によって勝手に作り変えられるというものでもない。そこで一首。

歴代の祖先の血集めし我なればその巨大さに呆然自失す  


ば近くいても気付かぬ愛なれば語るを止めよフェミニストのきみ 

解説 身近な愛にも気付かず気付こうともしない女性が、愛の大切さ、美しさ、崇高さについて声高で語りたがるものである。あなたを愛しているという素振りを表すこともなければ、ましてや口に出していうこともない。愛というものは現実には存在しないもののごとく、得々と愛について語ろうとする。その一方で何人もの男と関係を持っており、交情に際しても喜悦の表情を見せない。愛と欲情は別のものだと思っている。フェミニズムは理想主義であり偽善の仮面を被っていることが多い。そこで一首。

その実は不感ならむかフェミニズムよく語るにはよく愛すべし 

 

かのまの世に残すこと多きゆへすべてあの世に持ち行かんとす  

解説 死ぬときは誰も無に帰すると思っている。ところが生についてはもちろん死あるいは死後についても考えることができるのが、生きている特権なのである。生きるということは所有するということだ。ぼろ服をまとっただけの乞食でも、生という現実と意識から免れることはできない。ましてや社会の一員としての一般人であれば、ああもしたいこうもしたい、あれも持ちたいこれも持ちたいと欲に限度はないのである。従ってついには死とともにすべてを来世に持ち越すことになる。空しいながらも一首。

つくづくとこの世に嫌気さしたれど死して思い出残す空しさ

  

てる間に身は勝手に遠出して目覚めたるとき疲れ果てたり  

解説 夢を制御できる人間はおそらくいないであろう。絶対見たくはないと思っても、夢はどのような形で再現するかわからない。また夢に見たいと思っても必ずしも現われてはくれない。これが夢の神秘なところであり、生活に大いなる振幅と刺激と未知なる体験の喜びを与えてくれるのである。夢は時に現実を超えるほどにリアルな身体的変化と体験をもたらす。見た夢を現実に起こったことのように何十年も記憶していることもまれではない。夢は疑いなく現実の一つであり生きる喜びの源である。そこで一首。

願はくば夢見るときよ多くあれたとへ悪夢も映画と思へば

  

けなしの魂はたいて買いたるは窓際止まりの出世欲なり  

解説 勤め人が等しく願うのは、自らが所属する組織のトップになることであろう。とはいえ一番になれるのは一人しかいないのである。一般的にはよくて取締役、せいぜい部長ないし次長止まりといったところであろう。それでも自らの実力にそぐわない涙ぐましい努力をし続けたあげく、気が付いてみると窓際に座らされていた、というのが大方の勤め人の実情のようである。それでも駆引きにおかまいなく突っ走る人たちは、どのような場にも存在する。そうして最後に咲かせる毒々しいまでの朱色の花。そこで一首。

成らずとも突っ走るのが人の道成らぬところに咲く花の(あけ)

 

ディカルに動けるときが華なるぞ行く末恐れず進めや進め  

解説 勤め人からさらに枠を広げて一般化すると、さらに果敢にして激しい競争社会が現われる。芸術やスポーツの世界、若くして始める起業家などがそこに含まれてくる。ただ突っ走るだけではなくたゆみのない鍛錬、稽古、そうして人の意表を付くアイデアが求められる。ラディカルは若さの特権ではない。体力と意欲と若々しい頭脳さえあれば年齢は関係ない。それを実行する人に結果的に失敗というものはないのだ。たとえ当初の目的は達せられなくても、血の滲むような鍛錬と努力は必ず結果を生む。そこで一首。

楽々と極むることのなかりせば天衝く努力道を成さしむ 

 

ししても射付ける視線煩はし「えいっ!」と心で斬って捨つる 

解説 いろいろな場面でからみついてくる視線というものがある。私のような年齢になると、愛らしい女性の視線も不審の眼差しか抗議を込めた視線としか受け止めようがないわけである。電車の中などでじっと自分を見ているように感じられた視線を辿ると、自分が立つ真上の吊り広告に向けられたものであることを知る。見詰められる理由なんてないはずなのに。いずれにせよ、まとわりつく視線というのは不愉快なものだ。日本人は眼を付けられることを激しく嫌う。そこで一首。

むきむきと筋肉付けしは可なれど痩せたる魂震えているよ 

 

まれたる家柄あれこれ自慢する()の卑しさに思い至らず  

解説 本当に高貴な、由緒ある家柄に生まれた人は、自分の先祖や家柄をあまり語りたがらないものである。世間に知れ渡っているはずのことだからである。先祖や自らの出自についてあることないことを得々と語りたがる人は、自分で自らの人間性を卑しめていることに気付いていないといえるであろう。最も高貴な人間というのは家柄でも出自でもない。たとえ貧しく名もない家庭に生を受けても、自分の生き方に誇りを持って堂々と生きていける人のことだ。言葉に頼らないで実践してみせる人のことだ。そこで一首。

疑いを晴らすは行動あるのみぞ地に墜ちたる空言止めよ 

 

ぞまれて就く役職と思いきや風除け役とは悔しかりけり  

解説 組織というものは非情なものであり、一般的な人間感情をいともあっさり切り捨ててしまう。それゆえにこそ大胆な方針を打ち出すこともできるのである。がむしゃらに働いてきた組織内部の人間は、えてして組織のこうした側面を忘れてしまいがちである。これだけ会社のことを考えて働いているのに、トップはどうして分かってくれないのだろうと悩む。実は役職者たちこそトップの方針決定の犠牲者であり、矛盾の体現者でもあるのだ。退職して初めて分かることなのかもしれない。そこで一首。

のど元に出でたる怒声呑み込んで笑顔を返す習性憎し  


きものに止まりたるハエ眺め居て宇宙の原理思索しおわんぬ 

解説 書き物の合間などにボーッとして目の前の置物を見るともなしに見ていて、開けた窓から飛び込んできたハエがすいと置物に止まり静止したまま動かない。一見何の変哲もない光景であるが、ハエの余りの自在さ、無駄のない動きの美しさに見惚れているうちに、一挙に頭脳が先鋭化して、そこに大宇宙の摂理を感得する、といったことを経験したことのある人は私だけではないと思う。悟りを得たとか真理を発見したとか大げさなことではまるでないが、そのときの閃きは、脳を一気に若返らせる心地がする。そこで一首。

おそらくはわが脳に仕組まれし狂気のボタン押されたりしか 

 

らがりでで妖しく動く人たちの無音の気配現実(まこと)なりしや  

解説 たとえば夜道を歩いていて、ビルとビルの間の裏道、住宅の陰の塀のかたわらなどで、語らっているのか、何か取引をしているのか、遊んでいるのかよくは分からない陰ばかりになった複数の黒い人影がちらりと見えたりするときなど、ふわりと現実性が損なわれて無音の世界に変貌する。むろん物音やささやき声は発せられているはずなのに。そのとき光景は、夢遊の世界に変貌するのである。画家のキリコ、ポール・デルボー、ルネ・マグリットといった人たちは、おそらく同じ体験をしている。そこで一首。

くるくると独楽回りいて影しずか動の本質静に潜まむ 

 

けっぱちこれも一つの生き方ぞめくるめく中敵前突破  

解説 やることなすこと巧くいかず、どうにでもなれという心境で事に当たるとき、意外に巧くいくことがある。人は心にいつも次の行動に移るための思念を抱いていて、行動に当たって思念に邪魔されることが多い。人は考える生き物であるから思念をなくするということは出来ない。だが敢えて行動の結果を考えないで、ひらめきや思い付きを即行動に移すことによって、思念を超越することが出来るのである。人生への一つの賭けであるが、負けてもよしとする気持ちを持つことが次の飛躍につながる。そこで一首。

約束を守るは人の誠なれたまに破るは面白きかな 

 

れびとは()を愚鈍よと思い成す賢者と言わるをひたすら恐れぬ 

解説 ここで「まれびと」というのは、人に優れた天成の能力を有する人を指す。身に備わった才能をひけらかすような人は、真の才覚者とは言えない。真人というのは、自分が人に言われるような優れ者ものなどではなく、気の利かない愚か者だと心から思っている。実際、ある分野で天成の能力を示す人たちの多くは、極端な思い違いをしていたり、目の前の出来事にテキパキと対応できなかったり、うっかり者だったりする。そんな自分が賢者であったりする筈はないと心から思っているのである。そこで一首。

間違うが世の人の常なれば間違わざるを誇るは悪しき 

 

だるくて会社休みし夕間暮れまた飲みに出らるは何とうれしき  

解説 ウィークデイ、会社の帰りにしこたま飲んだ翌朝、出勤できないほどではないにしても、体がだるく出社する気がしない。そういえば有休がまだ大分残っているはずだ。ええい、今日は風邪気味ということにして休んじゃえ。二日酔いの不快感と会社をずる休みした後味の悪さで重く沈んでいた気持ちも、夕暮れ時にもなると回復してくる。なんだか気分が晴れてきた。よし、ちょっと気分を変えて町に飲みに出かけよう。こういう気持ちになったのは久しぶりだなぁ、といったところか。そこで一首。

結局はまた飲みすぎてぐでんぐでん取りし休暇をひたすら恨む  


られたと思ひて止めにしことあれど相手も同じ想ひとすれば?  

解説 普段好意を示してくれている(ようにに感じている)相手に、納得がいかない不可解ともいうべき冷淡な態度を取られると、気持ちが動転して、本当は私になど始めから関心などなかったのだ、ただ自分が勝手に気があると思い込んでいただけなのだ、と自分に言い聞かせていともたやすく諦めようとする、そういった経験は誰しもあると思う。相手の冷淡と思われる態度が、実は好意の裏返しの羞恥に因るもだとすれば┈┈? そこまでは見抜けないでたいていはすれ違いで終わってしまう。ああ。そこで一首。

振り向けば慙愧の連続我が歩み余りの多さにふつと嗤ひぬ 

 

られぬとメールがありて立ちすくむ待ち合わせ場所廃墟となりぬ 

解説 連れ合いでも恋人でもない。飲み屋やサークルなどでたまたま横に座り合わせた異性と気が合って仲良くなり、携帯の番号やメールアドレスを交換し合い、果ては数日後に繁華街のよく知られた場所で会う約束までしてしまう。当日、期待に胸をときめかせ、少しばかりおめかしをして待ち合わせ場所に少し早めに来てたたずむこと一時間。余りの遅さに電話しようかメールを打とうか思い惑ううちに、用事が出来て来られないとのメール。バラ色の人生は一転して絶望のどん底へ。華やかに人が行き交う街は、色彩を失い廃墟となって崩れ去る。そこで一首。

これまでと思い切れぬが情ならむ考へるほど思慕は募りぬ 

 

らず口言い合う仲間いつの間に憎悪投げ合う敵となりたる  

解説 気の合った仲間でも、一杯入った場所でおしゃべりをするうち、ついには罵り合いになってしまうようなことがある。果ては殴り合いにまでなってしまい、仲間意識や友情に決定的なひびが入ってしまう事態に発展することだってなくはない。アルコールの影響は大きいが、芸術や宗教への接し方、歴史認識などでもともと考えが違っていた可能性がある。本来何事も徹底して語り合うということは、亀裂を大きくする場合が多い。だからといって曖昧のまま付き合っていいわけはないが。そこで一首。

変人と呼ばれるほどのエネルギー存在自体が余剰なりしや

 

 

のひらをじっと見つめる訳ありし酒毒の度合い測りたるなり

 

 

解説 酒をたくさん飲む人は本能的に体調に敏感である。とはいえ、身体に異変が生じない限り酒量を減らしたり休肝日を設けたりすることはない。東洋医学では、掌や足裏は内臓とつながっているとされる。掌や足裏を揉みほぐすと、その部分とつながった内臓の血行が良くなるとされ、その専門家もいるほどである。酒を飲んで掌が赤くなるのは、肝臓に過重な負担がかかっている証拠といわれる。それゆえ大酒飲みは掌を気にするのである。じっと手を見て人生の感慨に耽っている余裕はないのである。そこで一首。

手鏡を覗き込みいて我思ふ見惚れるまでに心磨けよ

 

 

きらめず身投げ入りたるその道に大成なくとも悟道あるらむ

 

 

解説 人間は人生の価値を求めて必死に何かに挑戦しようとする。やれるだけのことをやりきる根性と体力があれば、ひとかどの人間になることが出来る。「やりきる」ということが大切なのだ。資質や才能(ある程度は運)によって、自ら目指した道が大成されずに終わるということは大いに有りうることであり、むしろ大半の人たちはそうである。しかし「やりきる」という満足感は大成と同等の価値を有しているのではないか。あるいは超えているのではないか。努力家に幸あれと言いたい。そこで一首。

明日にでも成就出来るとの予感こそ生きる元気の源ならん 

 

けを飲み高揚の果て自滅せし得る事なきを繰り返す日々よ  

解説 酒飲みの共通したパターンは程よいところで飲むのを止められないということだ。挙句の果ては、友情を破壊するほどの口論になったり、吐いたり、財布を入れたバッグをどこかに忘れたり、最終電車に乗り遅れたり、ろくな結果をもたらさない。そうしたことは教訓として思い知ってはいても、飲む機会に遭遇すると教訓はあって無きがごときものとなる。酒飲みが過去の失態を教訓として生かすということはまず無いと言っていい。そうして悔恨と懺悔、高揚と快感を交互に繰り返す日々を送ることになる。そこで一首。

さりげなく軽口たたきて談笑す微酔の心地勝るものなし 

  

がえして外出すると精神の位相が変わり気持ち湧き立つ  

説 社会生活が豊かになるにつれて、我々日本人はハレとケの区別がなくなってしまった。聖なるものへの畏敬と恐れの念が失われつつある。ハレの日の食べ物のほとんどは、スーパーなどで日常茶飯に売られるようになり、憧れも有難味もなくなってしまった。着るものにしてもまた然りである。特に正月は一年の始まりとして、新しくあつらえたりした洋服や和服に袖を通して神社参りをしたものである。今初詣をする人たちの大半は普段着姿である。味気ない世の中になった。そこで一首。

気が付けば先祖返りの我が姿成るべく成るをなどて恥ずかし

     

く年を想ひ未来を考ふる我が来し方に過ち無きや 

解説 むろん過ちは無数にあるのである。毎日が過ちの連続であると言ってもいいくらいだ。ただ新しい年を迎えるに当たって、過去一年間をフォーマットし、新しい文字を躍る心に書いてみたいという気持ちの表れなのである。我々は過去を忘れ去ることによって未来に立ち向かう気力を得る。一方で過去なくして今はあり得ないのであるから、過去を忘れ去ってしまうということは(ある種の病気を除いては)誰にも出来ない。過去を引きずるのではなくバネにすべきなのだ。そこで一首。

夢の中忘れ居たりし事共が大手を振って今を占拠す 

 

くるめく世界を前に立ち尽くす我世の中の一員なりしか  

解説 世界のあちこちで戦火は絶えることなく、アフリカなどでは飢餓で亡くなる人が多い。我が日本に目を向ければ、毎日のように殺人事件や悲惨な交通事故死が報じられている。昔は第一級殺人とされた尊属殺人が多いのが現代社会の特徴である。我が身に即していえば加齢と共に飛ぶような速さで日々が過ぎてゆく。確かに私はそうした現実世界の一員なのであるが、実感からすると自分だけがよその世界に生きているようで、現存感が伴わないのである。病気の前兆なのかもしれない。そこで一首。
目敏くもわれ見つけられ挨拶す相手の顔に覚え無けれど

  

る夢はまずは悪夢ぞおぞましや日頃の恐怖夢が買ひ取る  

解説 夢というのは何と神秘に満ち創造的なのだろう。私は毎夜夢を見るのが楽しくて仕方なく、期待する映画を見るときのように布団に入るときわくわくする。ただし、夢の多くは一種の悪夢である。夢は感覚を増幅する。日常抱くちょっとした不安や気になっていることが、著しく拡大され戦慄すべき物語となって夢となる。どんなに怖くても、でたらめかつ荒唐無稽なストーリーが、夢中にある感情を高揚させ狂喜させるのである。さて、今夜はどんな素敵な夢を見させてくれるのだろうか。そこで一首。
見返りに夢に与えるプレゼントそは現実を富ませるにあり
 

 

らふなら言えぬことをも酔いたれば直言できるは特権ならむ  

解説 誰しも経験のあることである。その昔『アウトサイダー』という本を書いたイギリスの作家コリン・ウイルソンは「意識の拡大」ということを生涯のテーマとした。意識の拡大は、自発的意志によっては中々に図ることは出来ない。そこでアルコールや薬物に頼ることになる。先進国では薬物はまず禁止されているので、頼るのはもっぱらアルコールである。泥酔さえしなければ、酒は理性の壁を取り払い感情の振幅を大きくし、意外なアイデアや思い付きをもたらしてくれる。そこで一首。

仕方なくやることでも意思すれば自発の行為になりにけるかも 

 

いこうを夢見て挫折せしけれど再度の挑戦勇気ある君  

解説 誰しも生きるからには夢を描いて挑戦しようとする。とはいえすべての人が成功するとは限らない。それでもなおかつ再度同じ夢に向かって挑戦し、なおかつ夢を超えようと発奮する人には必ず結果が待っている。そういう人は決して過去を振り返ろうとはしない。強引な印象を周りの人に与えるかもしれない。強引でも強圧的でも誠実でさえあれば人は惹きつけられる。欠点を見つけられないような人は、それ自体が最悪の欠点というべきである。そこで一首。

遠方に友あり未だ来たらざるわれ君子にはあらざりけりな

らき直りお前が悪いと(いさか)いす悪いは常におのれと思へ  

解説 誰も自分が悪いとは思いたくない。どう外から見ても自分が正しいことだってある。それでも相手にあんたが悪いといわれるとすれば、それなりに根拠があると思うべきである。お互いが自分の正当を主張しあうだけなら、喧嘩に至りつくことは明らかだ。先に「自分が悪かった」と謝ることは妥協でも屈服でもない。和の究極の姿と私は考えたい。問題をこじらせないために何でもすぐに謝ってしまう人がいる。それは卑屈以外の何物でもない。相手の度量を超えた謝り方に達すること。そこで一首。
ひたすらにここも我慢と腹据えて相手の欠点言わざるが華

 

さくして出るは疑問符ばかりなり答えは端からそこにありしに  

解説 人間はつねに苦しみもがきあがいて生きている。それが生きるということの実態だからだ。だが模索し思索し魂詰めて問題の解決を図ろうとあがけばあがくほど、解決の糸口が遠のくという経験は誰しも持ったことがあるはずだ。半ば諦めて息を抜いて一服したりしているとき、ふと「何だそういうことだったのか!」と膝を叩くような瞬間と出会うことがある。回答そのものを疑問符にしてしまったために、思考がこんがらがってしまったのだ。物事の原理は単純なほど高級な場合が多い。そこで一首。
問題の核心ふいにひらめかば焦らず言葉落つるを待てよ 

 

かいをば相手にたたかう気持ちよりおのれとたたかう気位が上  

解説 世界を相手にたたかう位の気持ちは絶対に必要であり、そういう気持ちが心になければ大きなことを成し遂げることは出来ない。人生に目標を持った人間の必須の条件といえる。ところが大言壮語は誰にも出来るが、往々にして空回りしてしまい、言葉と気持ちだけで終わってしまい易いのである。初志貫徹のためには言葉よりも気持ちの持続が必要である。日々の易きに付きやすい思いと必死にたたかって思いを貫徹する行動力こそ言葉を超え出てゆく。それが人間の品位であり気位というものである。そこで一首。

世間とはなべての学の根拠にて低く見たれば皆ドブに落つ

 

 

んだこと水に流して落着す我が民族の大いなる遺産  

解説 事なかれ主義と受け取る人が多いであろう。たしかに執着を持つことは反省につながり、過ちを繰り返す危険を遠ざけることに役立つかもしれない。だが過去へのこだわりと執着が遺恨を含み、現在をいつまでも諍いの場にしてしまう危険もまた大きいのである。

個人の次元でもその通りであり、宗教や国家という場でも同じことが言える。我が民族には一身を犠牲にすることによって罪や疑いを清める習俗がある。済んだことを水に流すということは一身の犠牲の覚悟の上に立っている。そこで一首。
ステテコとタボシャツ文化廃れても富士の御山は厳然としてあり    

平成1912日 了

佐土原台介の世界